「さあさあ お立ちあい、御用と お急ぎでなかったら、ゆっくりと聞いておいで…。」
昔みた映画で寅さんだったか、何かの時代劇なのか忘れましたが、大道芸人がテンポよく大衆の見ている前で、刀を振り回しあやしげな薬をみごとな口上で売っていたました。
私も幼い頃なので、記憶は遠いですけど面白くて見とれていた気がします。
インパクトのあるその名前が「ガマの油」ということだけ覚えていました。
でも、その怪しげな薬が何なのかがわかりませんでし、その「ガマの油」ってどんな薬で、何に効くのか効能もまったくわかりません。
なので、今回はそんな「ガマの油」について調べてみたはなしです。
目次
1.ガマの油の効果は傷薬だった
今では「ガマの油」は本当にガマ蛙から取った油ではありません。
しかし、江戸時代の頃は本当にガマ蛙を使っていたようです。
江戸時代に傷薬として賞用された軟膏(なんこう)剤。
正式な処方内容は不明であるが、一般にはごま油や豚脂(とんし)、ろうなどを基剤にし、ヒキガエルやムカデを煮つめてつくられた。
なかでも、「陣中膏ガマの油」は有名で、江戸中期、常陸(ひたち)国(茨城県)新治(にいはり)村長井(永井)から出た兵助(ひょうすけ)が江戸で広め、ついで松井源水の流れをくむ香具師(やし)たちがその商売を担ったとされている。
このガマの油の作り方や内容も多様で、なかには基剤に着色しただけのものもあったとされ、このような粗悪品を香具師が巧みな口上と演技で売っていた。
中国医学では、ヒキガエルの皮膚腺(せん)から分泌される乳状液を「せんそ」(蟾酥)と称し、強心、鎮痛、解毒薬として内用される。
また、外用すると、局所知覚麻痺(まひ)、止血の効がある。薬効成分は、ブファリンをはじめとする強心ステロイド化合物である。[難波恒雄・御影雅幸]
『添田知道著『てきや(香具師)の生活』(1964・雄山閣出版) ▽室町京之介著『香具師口上集』(1982・創拓社) ▽宗田一著『日本の名薬』(1981・八坂書房)』
2.「ガマの油売り」の口上
ガマの油売りの口上は、浅草観音境内奥山で居合抜きの辻(つじ)売り芸で知られた長井(永井)兵助の口上を、同じく同所で独楽廻(こままわ)しの曲芸をやっていた松井源水が受け継いだとされる。第十八代
16代源水の弟子という明智(あけち)三郎が伝える口上は、古典落語にみられるそれと大差ない(以下括弧(かっこ)内の言い換え、挿入は落語の文句)。
大道芸 「ガマの油売り口上」
第十八代 永井兵助
さあさあ お立ちあい、御用と お急ぎでなかったら、ゆっくりと聞いておいで。
遠出山越え笠の内、聞かざる時には、物の出方、善悪、黒白がトント分からない。
山寺の鐘がゴォーン、ゴォーンとなると雖も、童子来たって
鐘に撞木を当てざれば、鍾が鳴るのか、撞木が鳴るのかトント
その音色が分からぬが 道理じゃ。
さて 手前ここに取り出したる これなる この棗。
この中には一寸八分 唐子発条 の人形が仕掛けてある。
我が国に 人形の細工師 数多あまた有りと雖も京都にては守随、大阪表にては竹田縫之助、近江の大堟 藤原の朝臣、
この人たちを入れて 上手名人はござりませぬけれども、手前のは これ 近江の津守細工じゃ。
咽喉には 八枚の小鉤を 仕掛け、背中には 十と二枚の歯車が 組み込んで ござりまする。
この棗をば、大道に 据え置くならば
天の光を受け 地の湿りを 吸い上げまして 陰陽合体。
パッと 蓋を取る時には、
ツカ ツカ ツカ ツカ ツカと 進むが 虎の小走り虎走り、
後ろへ下がって 雀、 駒鳥 独楽返えし、
また孔雀、霊鳥の舞と
十二通りの芸当が ござりまするけれども。
如何に 人形の芸当が上手であろうとも、投げ銭や 放り銭は お断り。
手前 大道にて未熟な渡世はしているけれども、
憚りながら 天下の町人、泥のついた 投げ銭や放り銭を
バタバタ拾うようなことは いたしませぬで。
しからば、お前、投げ銭、放り銭 貰わねえで、
一体 何を以て 商売としているのかい、
何を以て おまんま食べているのかいと
心配なさる方が あるかも知らないけれども、
これなる 此の 看板示すがごとく、
筑波山妙薬は陣中膏ガマの油。此このガマの油という膏薬をば
売りまして 生業と致してとおりまするで。
さて、いよいよ 手前 ここに取り出とりいだしましたるが
それ その 陣中膏はガマの油だ。
だが お立ち会い。 蝦蟇 蝦蟇と 一口に云っても
そこにも居る ここにもいる という蝦蟇とは、
ちと これ 蝦蟇が違う。
ハハア、蝦蟇かい。
なんだ 蝦蟇んか 俺んちの縁の下や 流し下もとにもぞろぞろいる。
裏の竹たけ藪にだって蝦蟇なら いくらでもいる なんていう顔している方がおりますけれども、あれは 蝦蟇とは言わない。
ただのヒキ蛙、疣蛙、御玉蛙か 雨蛙 青蛙
何の薬石・効能はござりませぬけれども、
手前のは、これ四六の蝦蟇だ。四六の蝦蟇だ。
四六、五六というのは どこで見分けるかというと、
ほら、此の足の指の数。えー、前足の指が四本、後ろ足の指が六本。
これを合わせましては、蟇鳴噪は四六の蝦蟇だ、四六の蝦蟇。
また、この蝦蟇の採れるのが五月、八月、十月でござりまするから、
一名これ、五八十 は四六の蝦蟇だ。四六の蝦蟇。
サテ しからば、此の四六の蝦蟇の棲すむところ、
一体、何処なりやと言うれば、これより遙はるか北の方、
北は常陸国は筑波の郡、古事記・万葉の古から 歌で有名。
「筑波嶺の 峰より落つる男女川 恋いぞつもりて 渕となりぬる。」と 陽よう成院の歌にもございます
関東の名峰は 筑波山の麓。
臼井、神郡、館野、六所、沼田、国松、上大島、東山から
西山の嶺にかけまして、ゾロゾロと はえて おりまする
大葉子と言う 露草をば 喰って育ちまするで。
さてしからば、此の蝦蟇から 此の蝦蟇の油を採るには
どういうふうにするかって 言いますと、
先ずは ノコタリノコタリ急ぎ足、
木の根・草の根 踏みしめまして、
山中深く分け入り、捕らえ来ましたる この蝦蟇をば、
四面に鏡を張り、その下に金網、鉄板を敷く。
その鏡張りの箱の中に、この蝦蟇を追い込む。
サア 追い込まれたガンマ先生、
己の醜みにくい姿が 四方の鏡にバッチリと写るからたまらない。
我こそは今業平と思いきや、鏡に写る己の姿の醜さに、
ガンマ先生、ビックリ仰天いたしまして、
御体から油汗をば、タラーリ、タラーリ、タラーリと流しまする。
その流しましたる油汗をば、
下の金網から ぐぐっと抄すき取り集めまして、
三七は二十と一日の間、柳の小枝をもちまして、
トロリ、トロリ、トローリと煮炊しめ、
赤い振砂に 椰子油、テレメンテイナ、マンテイカという
唐から、天竺、南蛮渡りの妙薬をば 合わせまして、
良く練って 練って練りぬいて造ったのが、
これぞ これ、此の 陣中膏は 蝦蟇の油の 膏薬でござりまする。
サテお立ち会い。これにて、蝦蟇の油の膏薬の造り方 お分かりでござりまするかな。
エー、分かったよ。分かったけれども、
どうせ 大道商人のお前の造った蝦蟇の油なんか
ろくな効き目なんか あるまいと思っているような顔をしている方が おられるようだけれども、
薬というのは 何に効くのか効能ききめが分からなかったら 値打ちがねいよ。
しからば、蝦蟇の油の膏薬、何に効くかと云いうなれば、
先ずは 疾に癌瘡、火傷に効く。
瘍・梅毒・皹に霜焼け、皹れだ。
前へ廻ったらインキタムシ、 後ろへ廻ると 肛門こうもんの病。
肛門と云っても 水戸黄門様が病気になったんじゃねいよ。
これを詳しく云うなれば、
出痔に疣痔・走り痔・切れ痔・脱肛に鶏冠痔。
鶏冠痔というのは、鶏の鶏冠のように真っ赤になる痔の親分だ。
だが手前の此の蝦蟇の油をば、
グットお尻の穴に塗り込むというと、三分間たってピタリと治る。
まだある。
槍傷・刀傷・鉄砲傷・擦り傷・掠り傷・外傷一切。
まだある。
大の男が七転八倒して畳たたみの上をば ゴロンゴロンと転がって苦しむほど痛えのが
これ この虫歯の痛みだ。
だが、手前の この蝦蟇の油の膏薬、
これをば 紙に塗りまして 上からペタリと貼るというと、
皮膚を通し肉を通して 歯茎はぐきにしみる。
又 蝦蟇の油 小さく丸めまして アーンと大きな口開いて
歯の空洞にポコンと入れるというと、
これ又三分間 熱い涎がタラリ タラーリと出る共に
歯の痛みピタリと治る。
まだある。どうだい、お立ち会い。
お立ち会いのお宅に 小さい赤ん坊はいらっしゃるかな。
お孫さんでも お子さまでもいいよ。
エー。赤ん坊の汗疹、爛、気触 なんかには、
手前の此の蝦蟇の油の入っておりましたる
空きは箱・空箱・潰れ箱、
此の箱を見せただけでも ピタリと治る。
えー、どうだい、お立ち会い。
こんなに効く蝦蟇の油だけれども、
残念ながら 効かねいものが 四つあるよ。
先ずは 恋いの病と浮気の虫。
あと二つが 禿はげと白髪に効かねえよ。
おい、油屋。お前さん 効かねえものなんか並べちゃって、
もう 蝦蟇の油の効能つうのは 終わりになったんじゃねえかと
思っている方がおりますけれども、そうではごさりませぬ。
も一つ大事なものが残っておるりまする。
刃物の切れ味をば 止めてご覧に入れる。
ハイッ。手前 ここに取出したるは、これぞ当家に伝わる家宝にて
正宗が暇に飽して 鍛えた天下の名刀、
元が切れない、中切れない、中が切れたが先切れないなんていう 鈍刀・鈍物とは 物が違う。
実に良く切れる。
どれ位切れるか 抜いて切って ご覧に入れる。
エイ。抜けば 夏なお寒き氷の刃やいば。 津瀾沾沌 玉と散る。
ハイ。ここに一枚の紙がござりまするので、これを切って
ご覧に入れまする。
ご覧の通り種も仕掛けもござりませぬ。
ハイ。一枚が二枚。二枚が四枚。四枚が八枚。八枚が十六枚。
十六枚が三十二枚。三十二枚が六十四枚。
六十四枚が 一束と二十八枚。エイ。これ この通り細かく切れた。
パーッと散らすならば比良の暮雪か、嵐山には落花吹雪の舞とござりまする。
どうだ お立ち会い。こんなに切れる天下の名刀であっても、
この刀の差表、差裏に 手前の この蝦蟇の油塗るときには、
刃物の切れ味ピタリと止まる。
塗ってご覧に入れる。 あーら塗ったからたまらない。
刃物の切れ味ピタリと止まった。
我が二の腕をば、切ってご覧に入れる。
ハイッ。打って切れない、叩たたいても切れない。
押しても切れない。 引いても絶対に切れない。
さて、お立ち会いの中には、なあんだ、
お前の そのガマの油という膏薬は これほど切れた天下の名刀を
ただなまくらにしてしまうだけだろうと
思っている方がおりまするけれども、そうではござりませぬ。
手前、憚りながら、大道商人をしているとは雖えども、
ご覧の通り 金看板天下御免のガマの油売り、
そんなインチキはやり申さん。
この刀に ついておりまするガマの油、
この紙をもちまして、きれいに拭きとるならば、
刃物の切れ味 また、元に戻って参りまする。
さわっただけで 赤い血が タラリ タラーリと出る。
しからば、我が二の腕をば 切ってご覧に入れる。
ハイッ。これ この通り。赤い血が 出ましてござりまするで。
だが、お立ち会い、血が出ても心配はいらない。
なんとなれば、ここに ガマの油の膏薬がござりまするから、
この膏薬をば 此の傷口に ぐっと 塗りまするというと、
タバコ一服吸わぬ間に
ピタリと止まる 血止めの薬とござりまする。
これ この通りで ござりまするで。
さあて、お立ち会い。
お立ち会いの中には、そんなに 効き目のあらたかな
そのガマの油、一つ欲しいけれども、
ガマの油って さぞ高けいんだろうなんて 思っている方が
おりまするけれども、
此のガマの油、本来は一貝が二百文、
二百文ではありまするけれども、
今日は、はるばる、出張っての お披露目ひろめ。男は度胸で、女は愛嬌あいきょう、坊さんお経で、
山じゃ、鶯ホウホケキョウ、
筑波山の天辺から 真逆様にドカンと飛び降りたと思って、
その半額の百文、二百文が百文だよ。
さあ、安いと思ったら買ってきな。
効能が分かったら ドンドンと買ったり、買ったり。
室町(むろまち)京之介の紹介する「正調伊吹山の坂野のガマの油」の口上も、上記の口上簡易化し現代風にしたものである。
関東の口上では「軍中膏ガマの油」といって、武田信玄を持ち出したりしているものもある。[宗田 一]
【出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)】
まとめ
如何でしたでしょうか、「ガマの油売り」は?
眼の前で、ガマの油売りの口上を見てしまうと、つい買いたくなってしまいますね。
よく考えてみたら、デパートなんかで見かける実演販売のおじさんと一緒ですよね。
商品を如何によく見せ、面白おかしく販売するところが。
いまでは「ガマの油売り」は伝統芸の扱いですもんね。
そうやって考えると、日本での実演販売は昔からあったということですよね。