お好み焼きの大阪風と広島風の違いは?そして発祥はどっちが先?

先日のこと、広島出身のお友達にこんな事を言ったら怒られました。

私「広島焼って美味しいよね♪」

友「は⁉︎お好み焼きって言ってよ!💢」

私「ご、ゴメン…💦」

そうです、広島市民にとってお好み焼きと言えば広島焼ではなく、普通に「お好み焼き」と呼ばなくてはいけないみたいです。

中部圏に住んでる私はお好み焼きは大阪のもので、他にも言われる「広島焼」や「もんじゃ焼き」ってお好み焼きを派生させたモノだと思い込んでいました。

ちょっとこれを機会にお好み焼きの違いとルーツを勉強したいと思います。

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目次

広島風と大阪風の作り方の違い

イチバンの違いは焼き方です。

大阪風のお好み焼きは生地と野菜、肉などの具を一緒に混ぜてから焼きます。

まずは薄力粉をだし汁で溶いた生地の中に、キャベツや揚げ玉、ネギなどの具材を混ぜ込んで、一緒に焼いています。

また、肉などのメインの具は別に焼き、上に乗せて焼いていきます。

広島風は生地を混ぜずにクレープ状に焼き上げてから、キャベツやそばを重ね上げて焼きます。

キャベツを大量に入れて、そばまたはうどんを入れます。

それによって、キャベツの甘さと麺による違う食感を楽しめます。

この重ね焼きが簡単そうですが、なかなか家で再現するのが難しく鉄板の大きさや温度と作り手の熟練さが要求されます。

中身は大阪風お好み焼きは肉とキャベツなどがメインで広島風お好み焼きはそば・野菜がメインになります。

ソース関しては一般的に大阪風は辛め、広島風は甘めになります。

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お好み焼きの始まりは広島風と大阪風どちらが先?

お好み焼きの原型となるような食べ物は安土桃山時代に千利休によって「麩の焼き」として煎餅ようなものが食されていました。

それは味噌や砂糖を塗ったお菓子のようなものでした。

その後、江戸時代末ごろから明治時代になると東京で「もんじゃ焼き」「どんどん焼き」と言われる、いわゆる今のお好み焼きに近いものが生まれました。

しかし、本格的に現在のお好み焼きの原型が日本中に広がったのは戦後のことでした。

戦後には食べるものが満足に得られなかった為、そこで少しでも簡単におなかが膨れるような食べ物が全国で広まりました。

その頃の子供たちは駄菓子屋で「一銭洋食」と呼ばれる小麦粉を水で薄く溶いてネギを乗せてソースをかけただけのものを食べていました。

しかし、それだけではおなかが膨れない子供たちのために、かさを多くするためにキャベツを入れ、おなかを満たすようになりました。

これがお好み焼きの原型となり、やがてさらに好みの具材を色々混ぜて作ることから「お好み焼き」と呼ばれるようになりました。

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お好みの発祥地は?

先の話し、東京でもんじゃ焼きやどんどん焼きから始まり全国へ広まりました。

大阪と広島で一銭洋食として食べられてきました。

それはその後、「大阪風お好み焼き」と「広島風お好み焼き」として進化してきました。

まとめ

人口当たりの店舗数は広島県が全国№1です。

しかし、兵庫県と大阪府が続いて2位と3位となります。

それは土地柄とお好み焼きの特徴で店舗数に差が出たと思われます。

広島風は作ることが難しいので、お店で食べる物として見られています。

大阪風は自分でも作ることが出来るので、お店だけでなく自宅でも作る文化が根付ています。

大阪人はお好み焼きを上手く引っくり返せないと一人前として認められないそうです。(笑)

また、面白い話で大阪地元民にオススメのお好み焼き店を聞いても、答えられないそうです。

それだけ、自分で焼くことが主流となってるんですね。

結果、結論としてお好み焼きは、どちらかの広島のだけの物なければ、大阪のだけの物でもありませんでした。

それぞれの食文化のもとで「お好み焼き」として発展してきました。

作り方や食べ方の違いはありますが、共通して言えることは子供たちが安くて、おなか一杯になれる食べ物が、お好み焼きの元祖だったのですね。

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